2025/04/10
安価なボールペンの傑作「アクロ300」(2018年発売)
文具王がPILOTの名品に迫るコーナー。第六回目は、外観デザインの傑作について。
これまで紹介してきた製品はどれも素晴らしいものですが、基本的には機能性の高さによって他社に真似のできない名品として成立しているものでした。もちろん筆記具にとって、書き心地や表現力などの高い機能性は最も重要な差別化ポイントですが、それとはまた違った意味で魅力的な筆記具があります。今回紹介する「Acro300」は、普及価格帯のプロダクトデザインの傑作といえるボールペンです。
[廉価帯ボールペンの傑作]
アクロ300は、2018年に発売されたボールペンです。低粘度油性の「アクロインキ」を採用した滑らかな書き心地で、発売当時の価格は300円(税抜)。だからAcro300。(現在は400円+税)
系譜としては、2008年に、従来型の油性インキよりも粘度が低いアクロインキを採用した低粘度油性ボールペン「アクロボール」(本体価格150円)が登場。2015年に重厚感のあるツイスト式ボディの高級版「アクロドライブ」(本体価格3000円)が発売されています。このアクロボールとアクロドライブの間にあたる製品として2018年に2つのボールペン「アクロ1000」と「アクロ300」が投入されます。
1000と300は、外形がほぼ同じで素材違いです。1000は、グリップ部が金属部品で塗装仕上げ、300は全体がプラスチックの成形色です。発売当初、1000が1000円で300が300円でした(現在は1000が1100円、300が400円)。2021年にはショートボディのアクロ500が登場しています。
つまり、アクロ300は、パイロットの代表的な油性ボールペンのレフィルを搭載したシリーズの中の、カジュアルな位置づけの普及品の「安い方」です。もちろん、双子の兄であるアクロ1000はグリップ部分をメタルパーツにして塗装を施すことで、その価格差に見合うだけの高級感があり、これも名品と言って間違いないのですが、今回は、アクロ300を取りあげたいと思います。
Acro300は、Acro1000と外形はほぼ同じですが、金属部品を多く使用するAcro1000と比べると軽量です。外観はグリップの前端あたりが最も太く、前後に行くほど細くなるネクタイのようなシルエットが特徴です。最も太い部分で直径10mm、そこから後ろに向かってスッと細くなり、後端では7.5mm程度と、ボールペンとしてはかなり細い印象がありますが、指で支えるグリップ部分がしっかりしているので、握り心地はそこまで細く感じません。先行して販売されたアクロドライブから受け継いだ雫型をベースにしているようですが、重厚な雰囲気を醸し出すアクロドライブよりもスッキリしたシャープなラインは実際の重量以上に見た目も軽快です。カラーラインアップには樹脂色を活かした艶のある不透明色の他に、内部が透けて見える透明色のものもあります。
多くの筆記具が最廉価版からアップグレードする際にクリップやキャップ、ノックノブなどの要素のせいで後ろが重い見た目になりがちな中、後軸がスッと細くなることで後軸を軽く見せています。アクロドライブはオーソドックスな形状の後軸に対して、グリップを膨らませることで、前軸にも視覚的な重さを足すことでバランスをとっていますが、それとは対照的に、アクロ300は後軸に向かって絞り込むことで、後軸の視覚的重量感を引いて軽い見た目で前後のバランスを取っています。
そしてこのラインは、グリップ前端付近をピークとして、前後にまっすぐ直線的に細くなっているように見えますが、よく見ると、後軸の途中からわずかに角度がきつくなっていて、後端をより細く見せるような形状になっています。しかも、クリップ側とその反対側では、そのカーブが異なっているように見えます。(錯覚かもしれませんが、)クリップがある上面は直線に近く、その反対側はラインがキュッと上がっていて、旅客機のお尻のイメージと言って伝わるでしょうか、パッと見た感じでは後端に向かってスッと細くなっているように見える絶妙のラインです。
グリップから前は、ペン先を出したときにチップ先端の円錐型に近い角度でなじむ角度になっていて、ペン先を出した際に違和感なくネクタイ型を強調します。
そして後端の処理ですが、ここも、全体的なコンセプトであるインクの流れるようなイメージを損なわないために、ノックノブは、円筒形ではなく、ネクタイ型のボディラインにあわせて先細りの山形で、先端はきれいに丸めてあります。ノックノブが出てくる軸後端も、まっすぐ切り落とすのではなく、曲面の構成にすることで、柔らかくエレガントな印象を効果的に演出しています。
[クリップのデザイン]
クリップの形状はあえて軸と一体化せず、後軸に乗せてあるようなデザイン。実際は後軸に突出した部分があり、その部分を覆うように固定されていますが、あくまでシルエットを決める軸のラインには干渉しません。緩やかな円筒曲面の正面と、まっすぐ切り立った側面でスッキリと構成されていて、薄板のプレスにもかかわらず削り出しのようなソリッドな立体感を見せつつ、中央に細いスリットがあることで、軽く端正に見せています。
ボディ中央の継ぎ目部分には、シルバーのリングがあり、全体の印象を引き締め、視覚的な重心位置を前に寄せ、後ろを軽く見せています。リングはV字に凹む形状なので、リングが悪目立ちせず、手に持った時にひっかかることもありません。構造上、前後のボディを繋ぎ合わせる必要があり、軸に継ぎ目を入れざるを得ませんが、そのままだとデザイン的には本来あるべきでない残念な継ぎ目に見えてしまうところに、別の素材の部品を見せることで、意図的なデザインとして自然に処理しています。しかもこの断面のラインが前後の軸の端から段をつけずに内側に傾斜してつながっているので、前後の軸との一体感を損なうことなく、まるで1つの軸からそこだけ削られたかのように見えます。部品を足したり切ってつなげたりしたのではなく、もともと一つながりの部品であったかのように見せる。ちょっとした視覚的トリックです。
[書き心地]
肝心の書き心地はどうかというと、それはもう間違いありません。特に手帳にあわせて普段使いするには最高の一本です。ボディが細身で引っかかる要素がないので、手帳のペンループ等への抜き差しも楽です。手に取ると細身の割にグリップに充分なボリュームがあるので持った感触に安心感があって、取り回しがとても楽なので軽快さが際立ちます。重量は10.9gと、極端に軽いわけではありませんが、軽やかな見た目が効いているように思います。グリップ部分には特に滑り止めになるような加工は施されていませんが、前に向かって膨らんでいる形状のおかげで滑りにくく、しっかり筆圧をかけて書くこともできます。書き心地はさすがのアクロボール。従来型の油性インキとは別格の滑らかさで、黒く安定した読みやすい文字が書けます。昨今のゲルインキのクッキリとした黒さには及びませんが、アクロインキの黒には独特の柔らかな穏やかさがあります。ペン先を細かく動かしやすいボディなので、手帳に小さな文字を書き込むのにも好適です。油性インキなので、ゲルや水性に比べると同じボール系でもかなり線は細く、個人的には0.5mmでも充分細いと思いますが、油性ボールペンとしては最細クラスの0.3mm芯も用意されています。0.3mmを使うと、油性の激細ならではの緻密な文字や線を書くことができるので、ちまちまと小さな文字を書く人には是非一度試していただきたいところです。
[ネーミング]
1つだけ気になるところがあるとすれば名前でしょうか、Acro300と言う名前は、発売当時、税抜価格が300円だったからですが、諸般の事情で、様々な商品の価格を上げざるを得なくなってきた昨今。このペンも例に漏れず、2024年10月に本体価格400円に価格が改定となりました。価格が上がること自体はしかたがないとしても、この名前だと、名前を見るたびに「あー、前は300円だったのね」と、値上げを思い出させてしまう残念な効果が発生してしまっています。今さら名前を変えるほどの問題ではありませんが、ロングセラーになりうる普遍的なデザインに対しては、いささかネーミングがもったいなかったかもしれません。
[日本発の普遍的なオリジナルデザイン]
外観から見ると、ボールペンというのは極めてシンプルなプロダクトですが、シンプルだからこそデザインが難しい製品でもあります。一方で上質な素材に高い技術と手間のかかる加工を施すことで、美しく魅力的な製品として仕上げられた高級品もあります。それはそれで素晴らしいことですが、安価な製品には、それとはまた別の、量産される工業製品が持つ美しさというものがあります。材料の長所や加工の制限を知り尽くした上で、その材料ならではの美しさを引き出すデザインは、ある意味工業デザインの真骨頂といえます。しかもアクロ300のもつエレガントで個性的なシルエットは、一目で他と区別できる、シンプルで力強いオリジナリティをも持ち合わせた普遍的な魅力を持っています。アクロ300は、文房具の枠にとどまらず、工業製品として、美しさ・性能・価格・普遍性などあらゆる面において高い水準にある稀代の傑作です。私には、このアクロ300が世界に誇れるプロダクトデザインの1つとして、きっと数十年後に見ても全く古びることのない名品であり続ける確信があります。
(文・イラスト 文具王 高畑正幸)
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今回登場した製品:
油性ボールペン「アクロ300」 2018年発売
パイロットの製品情報はこちら 〉〉〉「アクロ300」で検索!
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高畑 正幸 さん 文具王 / 文房具デザイナー・研究評論家 1974年香川県丸亀市生まれ。小学校の頃から文房具に興味を持ち、文房具についての同人誌を発行。テレビ東京の人気番組「TVチャンピオン」全国文房具通選手権にて3連続で優勝し「文具王」と呼ばれる。日本最大の文房具の情報サイト「文具のとびら」の編集長。文房具のデザイン、執筆・講演・各種メディアでの文房具解説のほか、トークイベントやYouTube等で文房具をさまざまな角度から深く解説する講義スタイルで人気。 |
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