フォークシンガー 森山 直太朗 さん インタビュー
フォークシンガー・森山直太朗さんは、歌詞やファンクラブ会報誌、時にはステージ構成まで、あらゆる要素を手書きで表現されています。「書くこと」が創作活動にもたらす意味についてお話を伺いました。
― 最新アルバム『弓弦葉(ゆづるは)』と『Yeeeehaaaaw(イーハー)』を同時リリースという初の試みに加え、全国ツアーをそれぞれのアルバムのコンセプトで同時並行されていらっしゃいます。
ピアノと弦楽器のみによる静謐な旋律で内向的な面を表現した『弓弦葉』と、祝祭的なブルーグラスサウンド溢れる『Yeeeehaaaaw』。まるで陰と陽のように対比する内容ですが、この二つのアルバムが同時期に完成したという事実に抗わず、同時にリリースをする決断をしました。
もちろん、『弓弦葉』をリリースしてツアーをして、その一年後とかに『Yeeeehaaaaw』を発表するとかでもいいんですけど、それはなにか違う気もして。これまでも、できてしまった作品にどこか振り回されながら、ある意味突き動かされながら一緒に旅をしている感覚がありました。だから作ったものに従順に、謙虚に、柔軟に対応していこうと。きっと今回2作同時にできたことに意味があるのだから同時リリースして一緒にツアーを走らせようと決めました。
― ツアー会場では、CDを購入された方全員に直接CDを手渡しする「お渡し会」を実施されているそうですね。
どこかの知らない場所にいる誰かに生産されたものに囲まれて僕たちは生活しているわけですけど、できれば生産者、そして消費者の顔が見えるようなことをしたいんですよね。曲ひとつとっても、言葉一節とっても、曲を聞いてくれる人たちとの触れ合いとか、どういう人が聞いてくれているのかを肌で感じるっていうのは、自分にとっては結構大切で、10年程前から続けています。
お渡し会もそうですし、ファンクラブのオンラインストアで購入してくれた人には直筆メッセージカードを同封したり、ファンクラブ会報誌のコラムは毎回手書きだったり......と、この時代においてアナログなことをやっているなと思います。でもありがたいことに僕の手書きのものを皆さん愛してくださっているので、何かを配布する時は手を介して届けたいんですよね。
― メッセージやサインに加え、時には舞台デザインのラフスケッチをするなど、普段から書くことに親しまれていると伺いました。
2023年に弾き語りを収録したベストアルバム『原画I』『原画II』をリリースしているのですが、これはCDパッケージを書籍型にして、ブックレットは手書きの歌詞やイラストで構成しています。いつも自分でノートにメモしているものをそのまま表現したようなものになりました。
ツアーの舞台デザインに関しても、頭の中にある空間のイメージをスケッチしています。僕の落書きから始まって、多くの人の手によって平面が立体になる過程は本当に面白いです。
過去には歌詞のワンフレーズをいれたLINEのスタンプを出してみたり、歌詞や手書きの文字をプリントしたTシャツも出しています。自分が作る言葉がわりと詩情の強いものではあるんですけど、じゃあその歌詞の断片を切り取った時に、キャッチコピー的な強さがあるのか?ポップなものに消化できるのか?と、ちょっと疑いながら。「もはや僕は人間じゃない」とか「しまった生まれてきちまった」とかのスタンプがLINEでのコミュニケーションにおいてニーズがあるかどうかの判断は難しいですが(笑)。でも、自分なりの発見があったり、詩が違う見え方になったり、ユニークな試みだったと思っています。
― 小さい頃から書くことに親しまれていたのでしょうか?
書道を習っていたので、字を書くことや自分の書いている文字を人に見られることに抵抗がなかったと思います。あとは母が忙しかったので、祖母宅で一人遊びをすることも多かったのもあります。絵を描くことや文字を書くことっていうのは、もう自己完結の極みじゃないですか。だから人並みかそれ以上に、書くことに触れて過ごしていたといえるかもしれません。
何より影響が大きかったのが、小学校3年生の時の担任の先生の書く文字です。角がなくてやさしい雰囲気で、「この字を書きたい」と強く思ったところが原点だったように思います。
今でも、素敵な字を見ると眺めていたくなります。ファンの方から頂くお手紙も一文字一文字に人柄がにじみ出ていて、マネージャーと「この方の字、きれいだね、すごくいいよね」と話したり。
もちろん文字って、思いを伝えるとか可視化するとかの役割もあって僕もその一面を大切にしていますけど、デザイン性においても楽しめて、「こういう文字が書けたらいいな」とか、「書いていて心地が良いな」とか、そんな接し方もありますね。
― 文字の形やデザイン性への興味関心が、書くことへの動機となっているのですね。
そうですね。だから普段は「しっかりと美しい文字を書きたい」という思考が働くのですが、詩を書くときはそれが逆に邪魔になるんですよ。詩はもっと情緒的な意識からくるものだから、形にこだわると本質から遠ざかってしまう。だから歌詞を作るときはスマートフォンで打つ方が良かったりします。
一方で、スマートフォンのデフォルトは横書きですよね。日本語はそもそも縦に書かれるようにできているから、横書きだと思考と文字のスピードが合わない気がするんです。だからスマートフォンで書いた詩を、必ず縦書きにして清書しなおします。
― デジタルからアナログに変換するのですね。
言葉を書くという本質は変わらないんですけどね。今はデジタルでささっと書くことができるメリットがあって、僕もその利便性を享受しているんですけど、横書きというスタイルが実は障壁みたいな、しっくりこない一部だったりもする。でもデジタルをあえてアナログに清書することで気づきが生まれる。だから手間暇はかかるんですけど、ここで「書く」という行為をすることは僕にとって絶対必要な作業ですね。
― 手間暇も含め、プロセスそのものを大切にされている印象を受けます。効率や合理性が追求されるような現代において、表現者として思うこと、心がけていることはありますか?
ここ数年、“量”が生む“質”の大切さみたいなことを考えてきました。その最たるものが、2022年にデビュー20周年のアニバーサリーツアーとして『素晴らしい世界』というタイトルで国内外107カ所を巡ったことです。興行としてもプロモーションとしても、もっと効率のいい方法はもちろんあったはずなんです。でもあえてそうではなく、汗をかいて電車を乗り継いで、見に来てくれる人の顔が見え、しっかり届くような会場を選びながら107か所巡ったという事実が圧倒的な達成感として今に繋がっているという手応えがあります。
若い頃ってたくさん勉強したり練習したり同じことを反復する“量”を重視されるんだけど、年齢を重ねると今度は“質”にシフトしがちになる。でも40歳半ばで改めて“量”を追求することができたことの価値は大きいですし、一緒になってツアーを回ってくれたメンバーに恵まれていることにも感謝ですね。
人生みたいなものをトータルで考えたときに、「あの頃は本当に苦労したよね」という思い出こそが実は最も豊かな財産で、生きてきた道のりの中でも価値を持つんじゃないかと思うんです。
― 「書くこと」について伺わせていただく中で、森山さんが表現者として大切にしていることや生き方の本質が垣間見えたように感じました。
人間って不完全で、未来が見えない。人の心が見えない。なぜなら自分の心もよくわからない。いつも見えないものの恐怖に怯えながら人格って形成されていくと思うし、それが寂しさから来るものなのか、悲しみから来るものなのか、喜びから来るものなのかさえもわからないけれど、でも書くことを通して可視化されたものから得られる安心感もあると思います。
言葉もそうです。僕たちはこうやって言葉を使っていろんなことを伝えようとしている。その言葉と言葉の間にあるものとか、ふとした沈黙だとか、そういったところにしかやっぱり真実はなくて。
AIに「森山直太朗っぽい歌詞を書いて」といえばそれっぽいものが生まれますけど(笑)、行間からにじみ出るものや、あえて表現しないこと、ちょっと足りないくらいがいいよねというものは再現できない。空間とか余白を作ることのできるAIはまだ誕生していないですからね。
ツアーで各地を巡るのも、その地で舞台を作ることも、書くっていう行為も、効率がいいか悪いかでいったら、悪い。でもその手間暇のプロセスの中にやっぱり全てがあると僕は思います。これからは手間暇かかるものを、「手間暇かかるなあ」とか思いながらも楽しんでできる人が生き残るんじゃないですかね。
いくら効率化が進んでも、手間暇かけた非効率な表現や活動にこそ、人間の豊かさが宿るように僕は考えます。
森山 直太朗さん フォークシンガー
1976年東京都生まれ。2002年メジャーデビュー。代表作に、『さくら(独唱)』『夏の終わり』『生きてることが辛いなら』など。2025年10月、アルバム『弓弦葉』『Yeeeehaaaaw』を同時リリースし、「Two jobs tour 2025~26 『あの世でね』~「弓弦葉」と「Yeeeehaaaaw!」~」として異なるツアーを同時展開中。
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