[** はじめて自分で買った万年筆]
今回の主役は、キャップレスブラック(多面体モデル)です。じつはこれ、私が自分で意識的に買った初めての本格的な万年筆なんです。普通に万年筆を楽しんでいる人からすれば、なんで最初がこれ?と思われるかもしれませんが、私にとってはとても意味のある1本目だったと思うので、お話したいと思います。
この万年筆を購入したのはたぶん1994年。大学生の頃です。当時既に文房具好きを自称していましたが、実はそれまで万年筆は持っていませんでした。中学、高校時代まではもっぱらシャープペンシルで、祖父にもらったものを除けば、万年筆というものに触れる機会はほとんどなく、自分が万年筆を使うというイメージをまったく持っていませんでした。
四国の香川県から大学進学で千葉県に出て、憧れの東京の大型店にも足繁く通えるようになった私は、様々な文房具を買い集めるようになりますが、そのときの私の興味はどちらかというと、道具としての機能性や構造の面白さなどに向いていて、万年筆というと、扱いが面倒で、小難しい顔をした作家の人が使っている道具というような雑なイメージしかなく、なにより価格の高さもあって、知識もなく、購入検討の対象外でした。
しかし、ある日、たまたまショーケースの中に、このキャップレスを見つけて、目が離せなくなりました。私にとってこのペンは、万年筆かどうかという以前に、それまで見たどの筆記具とも違う、書くためのプロダクトでした。実際キャップレスは、万年筆なのにノック式、万年筆なのに細くコンパクト。そして万年筆なのに鋭角的で上下非対称なフォルム。どこをとっても万年筆らしくない万年筆ですが、そこには洗練された機能美が宿っているように思えました。
[** 独特の機能的フォルム]
普通、ボールペンやシャープペンシルは、棒状の軸にキャップやクリップなどが取り付けられた形状で、円筒+円筒 か、円筒+クリップという足し算的なデザインのものがほとんどです。しかし、このキャップレスは、まるで全体が一つの彫刻作品のようにデザインされています。
キャップレスが他の筆記具と明らかに違うのは、クリップの位置です。普通、ノック式の筆記具のクリップはノックノブのある側に付いていますが、キャップレスは万年筆なので、ペン先を下に向けて胸ポケットに挿すと、インクが漏れてしまいます。そこでキャップレスのクリップは、口金側に付いています。こうすればポケットに挿したときにペン先が上を向くので安全です。しかし筆記具の形として考えると異常です。ペン先のすぐ近くにクリップがあるのは邪魔ですよね。ですから、このクリップとその周辺をどうデザインするかは、このペンのデザインの重要なポイントになります。まず胴軸全体はわずかに前後がすぼんだ形で、クリップ(口金)のある方向がやや細まっていて、クリップがあるにもかかわらずこちらが前であることを表しています。
口金は先端近くで下面が平らに絞り込まれていて、ナマズが口を開けたような 上下非対称な形状です。開口部は正面から見ると逆さにしたホームベース型で、その口金と一体化したクリップが本体のラインに沿って伸びていきます。口金の上部からクリップの横幅へ、軽くプレスされた折り目がつながっていて、クリップと口金の一体感を出しつつ、キャラクターラインとしてこのペンの鼻筋を強調しています。そしてこのラインは胴軸にも続きます。胴軸の断面は18角形。この1面がクリップの真下に来るようになっていて、クリップのラインを引き継ぐように胴軸後端までつながっていて、全体をシャープに引き締めています。この胴軸の各面は光を反射して異なる明るさに見えるので、軸を動かすとキラキラと表情を変えます。胴軸の継ぎ目にはリング(実際は前後の胴軸をつなぐネジ)が嵌まっています。外形の流れを邪魔しないよう、前後の胴軸と同じ径ですが、このリング位置が太さの頂点になっていて、そこからボディのラインが前後にピンと張られているため、軸の表面全体に緊張感が生まれています。
口金と胴軸の接合部も、下半分は胴軸に合わせた円形ですが、上はクリップの上面と円をつなぐ屋根のような形の台形で、しかもつなぎ目はクリップに向かって斜めに切れ上がっています。この斜めの部分もクリップとボディの面が揃っていて、このクリップが、あとから付け足したものではなく、全体のフォルムを構成する要素として見事に溶け込んでいます。
ホームベース型の開口部の内部にはバネで可動するシャッターが内蔵されています。わずかに覗き見える暗がりの中で無骨なハッチが開いて中からピカピカで刃物のように鋭角的なペン先が滑り出てくる様は、まるで特撮映画で戦闘機が格納庫から出撃するときのような勇ましさで、ペン先は一旦少し前まで押し出されてからわずかに戻り、カチッと固定されます。これから自分が文字を書くという行為への準備として明確な高揚感があります。
実はこのシャッターは、ペン先で直接押し開ける仕組みで、多少強引かとも思いますが、この思い切った設計のおかげでシャッターの構造が最小限に抑えられ、ペン先の乾きを防ぎつつも、これほどコンパクトで先細の口金が実現しています。このシャッターについては賛否あるようですが、押し出すペンポイントのほうが圧倒的に硬いので問題にはならないようです。この機構は現行のキャップレスシリーズでも使われ続けていますが、今のところこの機構が大きな問題にはなっていません。
ペン先は、万年筆としてはかなり小型で鋭角的です。そのペンポイントは、このペン全体のラインが指向する焦点を明確に示しています。
ペン先が出た状態で横から見ると、口金下面の面取りは紙面と並行に、クリップから流れてくる上面のラインは、ペン先を指しています。上から見ると先ほどの鼻筋のラインがクロスするところにペン先があります。これもまた、今まさにペン先が狙っている一点に視線が誘導されます。
ノックノブは、シャッターの中からペン先を押し出す必要から、ボールペンやシャープペンシルと比べると倍以上の長さがありますが、口金とほぼ同じ長さで、要素が多い前端に対して後端で視覚的なバランスを取っています。
これほど洗練された形の筆記具を私はそれまで見たことがなく、どうしてもこのペンが欲しくなった私は、当時としてはかなり無理をして衝動買いしました。
[** 万年筆への入り口として]
こうして最初に使い始めた万年筆がこの多面体のキャップレスでした。最初の万年筆としてはかなり特異なものだったわけですが、おかげで万年筆に対する様々なイメージが自由になったように思います。
ペン先は、手帳やノートに書くことを考えてFにしました。万年筆といえば剣菱型のイメージがありますが、それに比べると極端に小さく、鋭角なので、かつて植物画を描くのに使用していた丸ペンのイメージに近く、硬くガリガリした筆記感を想像しましたが、実際に書いてみると、なめらかに滑り、インクもするすると気持ちよく出てきます。 筆圧をほとんどかけなくても文字が流れ出してくる心地良さ。ボールペンともまた違う、万年筆にしかない紙の上を滑らせて書く書き心地を知り、やっと万年筆という筆記具が私の中で具体的なジャンルとして意識されるようになりました。
そしてやはり私にとって最初の万年筆がノック式だったことが、万年筆の面倒な印象を薄めてくれましたし、他のペンと同様の筆記具としてしまい込まずに普段使いすることができた意味はすごく大きかったとおもいます。
ボディがツヤのない黒で、形状が万年筆らしくないのも重要で、「万年筆を使っている」という自意識や気恥ずかしさのようなものが抑えられたので、人前で取り出すことに対する抵抗感が少なかったと思います。正直、当時の私にとって、自分がカスタムシリーズのような、金色の剣菱型のペン先が輝く、いかにも万年筆ですというずんぐりしたツヤツヤのキャップ式万年筆を、人前で取り出してノートに何か書くというのは、周りの目が気になってできなかったと思います。
キャップレスを普段使うことで、万年筆というものが、雲の上の作家先生が使う道具ではなく、実用の筆記具であることが自分の体になじんでくると、自然と万年筆への抵抗感や偏見のようなものはなくなりますから、その後徐々に万年筆の魅力にはまって現在の私に至るわけです。今はカクノやライティブなどの、安価で書き心地も良く、見た目にもカジュアルな万年筆や、色彩雫のようなきれいなインクがたくさんあるので、今ならそれほど入り口で躊躇することもないのでしょうが、当時の私にとっては、やはり万年筆の入り口として正解だったのだと思います。
[** 何本も買い換えて]
しかしこれほど褒めた多面体のキャップレスですが、今は廃番です。実は今私が使っている多面体キャップレスは3本目で、いずれも廃番になった後になって探し求めたものです。この多面体モデルは、普段から実用品として何年も使っていると、どうしても壊れやすくなります。これはこのモデルが持つ構造的な問題です。まず、キャップレスは普通の万年筆とは違い、ノック機構を内部に備えています。基本的な構造はノック式のボールペンと同じですが、キャップレスはボールペンに比べて、ストロークが長く、おそらく内部の摩擦も大きいので、ノック機構に使うバネがかなり強力です。キャップレスはこのバネの力を常に受け続けることになります。そして、クリップと口金が一体で、樹脂製の胴軸に直接噛むように固定されています。なので、ペンをポケットなどに挿そうとクリップを開くと、口金とボディの接合部に力がかかり、それを受ける樹脂製の胴軸側の負担が大きくなります。これらの要因が複合して、長く使っているとどうしても口金の付け根部分の樹脂が割れたり、胴軸にヒビが入ったりする場合があります。もちろん、何年も普段使いしての話ですが、やはり壊れると悲しいですね。その後も少しずつ探して予備を数本所持しています。
これらの問題は、現行のキャップレスやキャップレスデシモではしっかり解消されています。基本的な機構はほとんど同じですが、現行品はどちらも胴軸が金属製で、耐久性も高く、クリップを別体とすることで、クリップの形状が改善され強度が上がっていますので安心です。今は現行のキャップレスやデシモも使っていますが、それらが壊れたことはいまのところありません。
ですから現行品は改善の結果であって、多面体モデルは、現行品と比べれば、正直設計に無理があると言わざるを得ないのですが、しかしそれでも私は、この全体が流れるようなキレのある多面体モデルは、キャップレスが当時実現しようとした、ボールペンと対等以上の便利な実用筆記具としての理想を体現した、ノック式万年筆のデザインの頂点だと思っています。
[** そしてキャップレスの沼に]
ということで、キャップレスの魅力から、万年筆全体の魅力を知る事になったわけですが、おかげでそれ以来キャップレスの魅力にどっぷりと浸かり、別のモデルも見つけるたびに買い集めてしまっています。今回は一番思い入れの深い多面体モデルだけで長くなってしまいましたので、次回は私のキャップレスコレクションを紹介させていただきたいと思います。
(文・イラスト 文具王 高畑正幸)
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今回登場した製品:
万年筆「キャップレス」 1989年発売 / 販売終了品
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高畑 正幸 さん 文具王 / 文房具デザイナー・研究評論家 1974年香川県丸亀市生まれ。小学校の頃から文房具に興味を持ち、文房具についての同人誌を発行。テレビ東京の人気番組「TVチャンピオン」全国文房具通選手権にて3連続で優勝し「文具王」と呼ばれる。日本最大の文房具の情報サイト「文具のとびら」の編集長。文房具のデザイン、執筆・講演・各種メディアでの文房具解説のほか、トークイベントやYouTube等で文房具をさまざまな角度から深く解説する講義スタイルで人気。 |
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